【そして、今は昔】



 今よりも少しだけ、前の話。
 自分がまだ、自分が世界の中心だと思っていた頃の話。

 彼女は随分とのんびりした人だった。今でもそう思う位なのだから、当時はのんびり、などと言う優しい表現では済まなかったと思う。
 朝、すれ違いざまに挨拶をしても、返事もない。
 と思いきや、単に自分が通り過ぎた後で深々とお辞儀をしていただけだったなんて事は当たり前で。お早うと言っている間にこんにちわという挨拶の方が相応しい時間帯になるんじゃないか、みたいな軽口も言われていた。
 本人もそれを自覚しているのかいないのか、確かにそうかも、などと笑っていたり。
 それが嫌味にならないのは今なら素直に彼女の魅力だったのだな、と思えるのだけれど、当時はなぜ笑っていられるのか不思議で仕方がなかった。
 何より、そんなにのんびり時間を浪費するのをもったいなく思っていた。

 一度、聞いた事がある。

「なぁ。なんで、おまえそんなにとろいんだ?」

 あぁ、当時の自分は幼かった。今も幼いけれど、昔はその自覚すらないままに、疑問を口にした。
 彼女は何を言われたのかわからない、といった表情で。
 そして、その表情のままの返事を口にする。

「えっと……私、そんなにとろい?」
「とろいっつーか……まぁ、とろいな。なんか人生損してるみてぇ」

 そういうと、彼女は凄く驚いた――日本にいる人間が、「ここは木星ですか?」と聞かれたかのような、そんな的外れの問いをされた時の顔をして、その後自慢そうにほほ笑んだ。

「んー……とろいかどうかはともかく。私、人生を損してるって考えた事、一度もないわよ」
「えー……? でも俺、お前が一つの事やってる間に二つも三つもやれるぜ? それのどこが損していってんだよ」
「それはきっと、私とあなたの見る目が違うからじゃないかしら……?」

 なんだよそれ、と思った。
 自分としては――横暴にも――親切のつもりだったのだ。もっとたくさんの事をやった方がいいんじゃないか。その方が人生楽しいんじゃないか、と。それを裏切られたかのような気がした。
 そして、それよりも自分と彼女で視点が違うという事が、たまらなく苦しかった。

 だから、言った。
「なんだよ……トロ女」
「私そんな脂たっぷりじゃないわよー」
「違うよっ!! トロイ女だっつってんだよー!」

 苦しくて、悔しくて。
 自分は彼女と同じ風景が見れないのかと思うと。
 とても、切なかった。


 液晶画面に映る彼女を見て、思いを馳せる。
 きっと、あの頃、自分は彼女の事が――好きだった。
 のんびりやで、方向音痴で、そのくせより道が好きで、でも想いは一途な――。


「頑張れ」

 生き急いでいるだけの自分は、もう応援しかできないのかもしれないけれど。
 それでも、彼女の姿を見れれば、少しだけ昔の自分を思い出して、そして今の自分を笑い飛ばせるかもしれない。

 そんな気がした。



 誰もが足早に過ぎて行く青春の流れの中で、彼女のマイペースだけはけっして崩れないんだろうなぁ。。

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 あずささんはきっとこの“自分”のことも覚えていてくれているのだろうな、と。そう思います。

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 今はもう、多少物分りの良い、その分何かを損していたのは自分のほうだったと気付いて初めて、二人の距離や位置関係がわかる。でも、以前の「彼」にはその思いが伝わらなくて、伝えることもできなかった。今なら出来るのかも知れないけれど、急いていた彼を彼女の時間があっという間に追い越していく。そんな姿を液晶越しに見ながら、いつの間にか彼女の背中を追いかけ、ただ応援することしかできなくなってしまった、そんな「彼」を、僕は応援したいと思う。過去を振り返ることはとても苦しいけれど、それでも振り返ることしか、できないから。

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 年頃の男子の初々しさがよく出ていると思いました。あずささんは脂肪分が豊富だと思います。主に胸に。

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 アイドルの青春というよりも、青春の偶像としてのアイドル、というものを描いた作品かなと思います。「アイドルという特別なもの」を「普通の人」の視点から描く話として王道でありながら、プロデューサーに感情移入しがちなアイドルマスター二次として意外に思わせる、現実寄りの、しかしきれいな話だと感じました。

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 脂たっぷりにちょっとぷっと吹き出しつつも、ほろ苦い青春譚でした。あずささんと彼の前途が明るくありますように。

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 なんか気になる女の子にちょっかいかける姿はいつまでも変わらないみたいですねw これ微熱さんじゃないかなぁなんて思ってます

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 時が経ってからガラリと印象が変わることは良くあります。アイドルになったあずささんを見て、彼もいろいろ思う所があったのでしょう。のんびり屋の彼女を知っているだけに、余計に感じる所は多そうですが、この彼は多分、ずっとあずささんのファンで居てくれそうな気がします

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 あずささんのトラウマとなった「彼」とも別人のようですし、あずささんの周りにいた名もない誰か、ということでしょうか。無記名であるからこそ視点は一般論にまで昇華し、あずささんのキャラクター性の一面を、単なる主観ではなく客観として確言してしまうという意図かもしれませんが、視点人物として特権化されるだけのエクスキューズは、やはり欲しいかなあと思いました。

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 時間感覚の差異、というものが身に染みる作品ですね。的外れかもしれませんが、微熱体温氏のテイストに近いものを感じました。

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 こういう話好きなんですよー。恋を恋とすら気付かないままだった初恋の話みたいなの。あずささん自体も絶対当時自分が好かれてたなんて気づかないのかもしれませんね。それで良かったのかもしれませんけど。



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