【どこか行きのスロウ・ボート】



 その夏は、なんとなく嫌な夢を見ることが多かった。
 電気を消した暗い部屋で横たわっていると、のしかかる空気は暑く湿っていて体にベールをかけている様なのに、手や、足の先はかたく冷え切って、どうしようもなく熱を求めていた。枕に顔を押しつけて、自然に眠りに落ちるまでじっと時間が過ぎるのを待った。そういう日に、決まって嫌な夢を見た。渦巻いた馬鹿げた妄想は夢の中まで追ってくる。

 その日も夢を見たんだ。
 春香はステージの上で、苦しい、とただ一言叫び、くず折れて、結局そのまま動かなくなった。照明が落ちたその場所でその体を抱き上げるとそこにはもう熱も匂いも何も無くて、求めていたものを、また失ったのだと実感した。

 これは、単なるくだらない妄想。


 *


 海開きもそこそこに、平日の海には誰もいなかった。この曇り空のせいだろうか。それでも念入りに日焼け止めを塗った春香は、靴下を脱ぎ捨てて一目散に海へと駆けていく。俺は携帯と車のキーだけをポケットに突っ込んで砂浜の軌跡を追う。
「頼むから転ぶなよ」
「大丈夫ですよう。それよりもほら、冷たくて気持ちいいですよ」
 浅いところでバシャバシャやってる春香に誘われるままに、たまにはいいか、と俺もズボンの裾を捲って海に入った。この歳になると海に来ることなんて仕事以外じゃほとんどないし、童心に帰った気持ちで少しだけわくわくしていた。海の水は、焼けた砂と違ってひんやりしている。
「そういえば、どうして突然『誰もいない海に連れてけ』だなんて言い出したんだ」足で水中の砂をほじくりながら、俺は尋ねた。足をなでる砂の感触が気持ちいい。
「だって、撮影で海に来たって、めいっぱい遊べないじゃないですか」
「そりゃ、そうだけど。それだけの理由でか?」
「アイドル女子高生の時間は短くて貴重なんですよ! それに」
 春香はそこで言葉を区切って、不意に俺から視線をはずし、曇天を見上げた。息を吸う音は波音に掻き消される。
「好きな人と一緒に海に行くのって、憧れてたんです」
 その横顔は、俺も見たこともないようなもので、その瞬間、この不気味に青い海と灰色の空の下で、彼女だけが強い気配をもっていた。確かに、はっきりと。俺を揺さぶり起こすほど強烈に。
「……ばかだな、そういうのは本当に好きな人とすることだ」
 それから春香はこちらを向く。彼女の顔は世界の秩序をかたどって微笑む。太陽がやきもちを妬いて引っ込むのも道理だった。

 誰もいない海にふたりでいると、まるで宇宙の果ての小さな星みたいな孤独を抱え込んでいる気分だった。
 その星の海では、イルカが跳ねて春香が一人で歌っている。


 *


 俺が失ったものや、求めても得られなかったものを、春香はきっと手に入れたんだと俺は信じてやまない。16歳の少女にはまだ重かったかもしれないけれど。
 俺は彼女の星の砂浜でずっと船を待ち続ける。その船に乗って、揺られながら見る夢はきっと――、



-ここでおわる-


 小六さん、かなぁ・・・?

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 「太陽は罪なやつ」を思い出しました。嫉妬する太陽というのが良い味出していますね

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 1200字でめいっぱい詰め込んであったと思います。読み応えありました。星の海で一人歌う春香のイメージがもう少し形成できていればもっと素敵だったかななんて思いました。というか、「その星の海では〜」の一文がすっごい素敵だったのでラストの一文に使って欲しかったなって思いました!

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 行く宛のない想いが、波の行くまま潮の流れるままに漂流していて、きっとどこかに本当は辿り着きたいと、心では思っているのだろうけれど。春香とプロデューサー、二人きりの浜辺に迎えに来るスロウ・ボートは、遠い宇宙に孤独と運命を抱きしめたまま旅立って行くのかもしれない。そんな益体もない事実を、春香はしっかりと手に入れた。切符の残りはたぶん、アンタの分しか残ってないんだぜ? 一覧でも目を引くタイトルに吸い寄せられ、字数限界を物ともしない叙情的な描写に感嘆致しました。

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 自分、作品002を投稿した者なのですが、いやぁびっくらこいた。視線は同じなのに、食い合いはせず。テーマとモチーフだけが奇妙な接点を持って鏡合わせみたいになってます。今回合作の企画なんてしたっけ? とか思いました。これがSTAND ALONE COMPLEXというものでしょうか。「ふっざけんな!お前の駄作と一緒にすんな!」とか思われてるなら本当にごめんなさい。文章の方は、有無を言わせない力強さで、書いた方の鼓動や息づかいまで聞こえてきそうな血の通った文章が、ぐりぐりとこちらを引っ掻いてきました。「もう少し力を抜いてもいいんじゃない?」とか思ったのですが、「黙れ!」の一喝で殴り飛ばされました。すいません。いやぁでも本当にビックリした。

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 「太陽がやきもちを妬いて引っ込むのも道理だった」の一節に、やられました

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 びねt……いや、なんでもない

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 この空気は・・・にわさん?!

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 全体としてモノクロームの世界を強く印象づけながら、春香の周りにだけ色が存在する、そんな一枚絵を想像させられます。「ふたりでいる」のに、描写は『一人と一人』と感じさせる隔絶。向かい合わせの孤独、というか。そんな風に不安定で虚無的で、なのに「確かにこれは青春を題材にしている」と感じさせるのが凄いところだと思いました。「俺」の抱えるものはなんなのか、孤独か恐怖か喪失感か不安か、或いはそれ以外の何かなのか、いずれとも言いがたい、言語化できないもどかしさが何度も何度も読み返させます。

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 実に描写が巧みな作品です。春香の横顔がありありと脳裏に浮かんできました。あるさんっぽいとも感じましたが、東方部の誰かかもしれませんw いずれにしても、SSを書き慣れているように感じました。

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 独自の雰囲気が凄い。Pと春香の存在だけで世界を構成してしまった感じ。短さ故に余韻が強烈に響きました。にわさんの作品にも似通った雰囲気があるのですが、これ誰だろう……

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 これ好きだなあー。何度も読み返したくなります

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 色々な解釈のできそうな話。何度か読み直しましたがまだ読み解けません。



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