【ある日の風景】



 一人のアイドルが引退した。
 それは、ありふれた話だった。

     ※

 私が彼女のことを知ったのは、とある歌番組のオーディションで同じ組になったからだった。それから何度か別の、歌関係のオーディションで顔を合わせたこともある。
 だから、別に親しかった訳ではない。
 顔を合わせたら会釈をする程度の関係。
 私がたくさんのオーディションに勝ち進み、いくつかのレギュラーを持ったころには接点がなくなり、自然と私たちが顔を合わせることもなくなっていた。
 結局、彼女はアイドルとして大して活動をすることもなく、一枚だけ出したシングルの売れ行きもよくなくて引退コンサートを開いてもらえるほどに有名にもなれず、ある日、静かにこの煌く舞台から姿を消した。
 よくあることであった。あまりにも、ありふれた話。
 だから、そんな彼女が引退することを知ることが出来たのは、まったくの偶然だった。

     ※

 その日の私はいつものようにレッスン場へと、プロデューサーの車で向かっていた。
 助手席から流れるビルの群れをぼんやりと眺めながら、私はまどろんでいた。日々過密になっていくスケジュールに、少し疲れていたのかもしれない。
 寝ぼけた頭をガツンと叩き起こしたのは、ラジオから聞こえた歌だった。
「……どうした、千早?」
 声に振り返ると、運転席のプロデューサーと目が合った。心配そうな顔をしていた。もしかしたら、何度か名前を呼ばれていたのかもしれない。
 彼が何かを言うより先に、
「プロデューサー、前」
「えっ、ああ」
 視線が外れる、私も助手席側の窓へと顔を戻した。
 歌はいつの間にか終わり、番組のパーソナリティの声が聞こえていた。……2人の。
 彼女の声は震えていて、渡された花束のラップがマイクに当たっているのか、乾いた音が時折聞こえた。やがてもう一人の、新しいパーソナリティにマイクが渡り、自己紹介をかねた明るい言葉を締めに番組は終わった。
「なあ、千早……」
「プロデューサー、CDを取ってもらっていいですか。下から2番目の」
 そっぽをむいたまま、私は言った。
 肩をすくめ、CD置き場に手を伸ばす彼の姿がうっすらと窓に写る。
 カチャカチャと、ケースの音がした。
「この青いやつか?」
「ええ、それです」
 受け取り、プレイヤーにセットする。
 やがて静かなメロディが車内に流れ、少し遅れて彼女の歌が聞こえてきた。
「いい曲だな」
「受け入れてはもらえなかったみたいですけどね」
「でも、千早は気にいってるんだろ?」
 その言葉に一瞬あっけに取られる。
 やがて私は微笑み、答えた。
「……そう、ですね。そうかなのもしれません」
 シートに身をあずける。
 心地よい揺れと音楽に、私はゆっくりと目を閉じた。

     ※

 一人のアイドルが引退した。
 私は、彼女の歌が好きだった。


-End-


 千早との名も知らない彼女の間にあったものは、どんなものだったんでしょう。想像するには、もう少し彼女との絡みが見たかったですね。

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 ラストの一文、好きです。

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 もう静謐な雰囲気がたまりません。どっぷりと浸かって骨の髄まで染みいる心地です。SSの掌編でオリキャラの投入っていうのは、結構難しくてどうにも鼻についてしまうのですが、これはすごく好きです。2節目の設定説明を折りたたんで3節目に上手に収納できていれば、もっと良かったと思います。あと、運転中のCD入れ替え、ダメ絶対(経験談)

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 なんともいえないけれどこのなんともいえない空気が心地いい

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 輝く者あれば輝きを失う者あり。一瞬のその光もまた、青春の光、なのでしょうか

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 ひどくありふれたお話です。アイドルの引退など。けれど、彼女の歌は千早の心に残っていた。世間の評価とは一切関わりなく。それが、とても千早らしくて。千早の「ある日の風景」の意味は、きっとそこにあるのでしょう。

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 「ある日の風景」というからには、どのような形であれ、もう少し千早自身のキャラクター像にフォーカスするようなパーフェクトコミュニケーションが見たかったかな、と思いました。

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 他の誰でも無く、孤高の歌姫如月千早で描くからこその作品かなと思いました。親しかったわけでもないアイドルの引退、という距離が、逆に「歌が好きだった」というシンパシーを強調づけているように思います。彼女の曲をかけることがまるで千早からの手向けのように読めました。その一方で、その曲が好きであることをプロデューサーに肯定されることで千早自身が救われているようにも見えます。どんなアイドルも引退は他人事ではないことを、他人の引退という「他人事」の形で暗示的に示された千早が、少しの寂しさと安堵を得る作品ではないだろうか、と感じます。

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 ぐっときました

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 ありふれた話、と繰り返しつつも、千早にとっては印象にのこった出来事だったのでしょう。短いやり取りながらも、プロデューサーと千早の会話がすごく好みでした。



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