☆春香360

「おはようございます……」
「ああ、おはよう春……って、なんだそれ」
事務所に現れた春香は頭からコードを生やしていた。
「なんか、目が覚めたらこうなってたんです」
「変わったアクセサリーだと思ったら、生えてるのか。なにか心当たりはないのか?」
「あったら、お医者さんにいってますよう」
「ふむ、とりあえずどうなっているのか診てみよう。治し方が分かるかもしれない」
春香を手近にあった椅子に座らせて、後ろから髪の毛を掻き分けてみる。
いつもながら綺麗な髪だ。ゆるいカーブを描く柔らかな髪を触っているとそれだけで……
おっとっと違う違う、コードの正体を調べるんだった。
コードは2本。いつもつけているリボンの位置、左右から1本ずつ。
端には、白いプラスチック製のカバーがつき、中央には平たいコネクタがある。
コネクタの外側にはスリットが入っていて、角が落とされている面は3本、逆が2本。
3本のスリットの内側には7つの金属端子が見える。
「なんだろうなこれ……どっかで見たような、見てないような。ヘンなコネクタだ」
「うう……ヘンなの仕方ないですけど、種類が判ったら外せるんです?」
「変化はこれだけか? イマイチ分からない」
「あの……実は……」
「うん、なにかあるのか?」
「……実は……」
「?」
それきり、春香は口ごもってしまった。何か言いにくいコトだろうか。
俯いた後頭部を眺めて、口を開くのを待っていたが、そのうなじに何かが見えた。
「あ、もしかして」
「ぎ、ぎくっ!」
「このうなじの何かの差込口か! 恥ずかしかったのか?」
「え? う、うなじ?」
「気にするな、俺はプロデューサーだ。困ってる春香の事を調べて笑ったりしないよ」
「差込口って、なんです!? うううっ、どんどん妙なものが増える、やだもうー」
握りこぶしで自分のももをポカポカと叩きだした春香をなだめて、後ろ髪をあげさせた。白い肌だなー。
「こっちは見たことがあるぞ……思い出せ、俺。うーんと、これは……」
「ホ、ホントですか。解ります?」
うなじのそれらは全部、形の違うものが2組。
右側の2つ四角くて電話のモジュラージャックに良く似たものとUSB端子のような平たく小さいもの。
左側の2つは、大きな端子と小さな端子の差込口。2つともこのニヤリと笑ったような形。
この組み合わせでどこかで……。
「おっ」
「プロデューサー、さん?」
「箱○だ」
それは、I/O端子、ネットワーク端子、AV端子、そしてHDMI端子。間違いない、XBox360だ。
「はこ? なんですか、それ?」
「ちょっと、こっちへおいで春香」
「え、え、どこへいくんですかー」
俺は、頭上から伸びる触覚のようなコードをなびかせた春香の手をとり、歩いた。
行き先は、同じビルの中、765プロが借り切ったフロアの一室、視聴覚機材のある会議室。
部屋にはいり鍵をかけた。何が"出る"か予想できないし、春香もやたらに他人に見られたくはないだろう。
「あの、えっと、ここで何を?」
「これはゲーム機のそれだ。何故こうなったかは謎のままだが、今、春香はたぶんTVに何か"映せる"ぞ」
「えええっ!?」
「オンラインにもできるだろうけど、怖いからやめておこう。どうする? 出してみるか?」
「え、ええっと。どうしよう……」
「無理にとは言わない。とにかく、医者の範疇じゃないことは確かだ」
こんな怪異が起きるのに理由がないということはないだろう。まるでマンガかアニメだ。
「たぶん理由があって、こうなった。だから何かをやらないと、元には戻らないと思う」
「そうですよね……解りました! 私、やってみます! プロデューサーさん、お願いします!!」
「よし。じゃあHDMIケーブルを繋いでみよう」
「は、はい……」
壁にドデンと置かれている65型のプラズマTVの正面に、春香を座らせる。
俺は、HDMIケーブルを引いて彼女に向き直った。
「じゃ、左側の髪をあげて」
「はい……」
春香は後ろ髪を片手で掴み、首をかしげた。
あらわな乙女のうなじの中ほど、差込口が照明を鋭く反射して光っている。
「う、うーん。なんかいけない事をしているような気分」
「や、やだ、ヘンなこと言わないで下さい!」
俺は端子を春香に近づけていく。
そっと位置をあわせてHDMIケーブルを押すと、金属とプラスチックの擦れ合う音がして、
「あ、ん!」
春香が声を上げた。
「ぶっ! みょ、みょう、妙な声を出すな! ますますヤバいフンイキになるだろ!」
「す、すいませんっ、ちょっと、驚いちゃって……」
落ち着け俺。何を連想している。それどころじゃないだろう、春香の様子をよく見るんだ。
無事か? 顔色が悪くなってたりしないか? ……なんかどっちかというと上気しているな。
頬が桜色に染まって、心なしか瞳も潤んでいるような……よし! 無事だ! 無事、無事!
「あー、もうなんかドキドキするな」



「そ、それで、何が映るんでしょうか」
「そうだった、な。よ、ようし点けるぞ。……っと、いかん、それじゃ俺も見てしまうぞ、春香」
「え……」
「これは良くないだろ、ひょっとしたら春香の秘密とか考えていることとか、画面にジャッジャーン!、だぞ」
「……」
そうだった。ここまでやっておいて、俺は何を言ってるんだろう。
俺だって、やたらに見られたくはないだろう"他人"のひとりに違いない。
春香はひざに目を落とし、逡巡している。これはいかんな。よし。俺は立ち上がりドアへと、
「いいです……プロデューサーさんは見ていてください」
いこうとして、その手を掴まれた。
「春香……?」
「……誰かがいないと。TVに吸い込まれたりしたらどうするんですか」
「それ、俺がいてもどうしようもないんじゃ……」
「いいから、いてください。一人でなんて怖いです!」
春香の不安そうな目に囚われる。これは置いていけない。
しかし、ということは俺、見てしまうのか。
「そ、そうか。じゃあ……」
よし、腹を括ろう。何が映っても春香のことだ。そして俺はプロデューサー。
どんな秘密でも、衝撃の事実でも墓までもっていくぞ。
「ぽちっとな」
ただの板だった画面に熱と黒い光が入る気配。
壁にドデンと置かれた65型の、巨大な画面に、映ったそれは――

< NO SIGNAL >

「え?」
「あれ?」
おかしい。何も映らない。信号なし?
「なんですかこれ、プロデューサーさん」
「わからん。信号が出てないそうだ」
「……えーん、もう、なんでもいいから早く治してー!」
「うーむ? こういう時は、基本に立ち返って……」
家電が正常に動かない時の確認手順。
えーと、まずはコンセントが外れていないか確認。春香はコンセントはいらないだろ!
次は主電源が――
「そうか。電源か。春香、電源を入れてくれ」
「は、はい?」
「つまりだな、TVのほうはスイッチONだが、春香のほうがOFFだ。ONにしてくれ」
「ど、どうやってですか?」
「そりゃ、こう……。……どうやるんだ?」
困った。家電なら大抵スイッチがついているが、春香は家電じゃない。現役アイドルにして可愛い女の子だ。
待機状態ってわけでもあるまい。Idolであって、Idleじゃないんだ。なんちゃって。
「ぐっ……」
「ど、どうしたんですか、プロデューサー」
「いや、ちょっと自分の貧相なユーモアのセンスにちょっと絶望して――いや、なんでもないよ」
「しかし、困ったな。春香に電源ボタンはないだろうしなあ」
うなじにはなかったし、頭にもなかった。そういや頭の2本のコードは、まだ使ってないが?
「……あっ!?」
「どうした、春香?」
春香がぎょっとなっている。
片手を隠すようにして胸の前で握り締めぷるぷる震えだした。
「な、なんだ? 具合が悪くなったか!?」
「あ、あのプロデューサーさん」
「すぐ外そう、いったん休もう」
春香に駆け寄り、ケーブルを抜こうと、肩に手を伸ばした瞬間、春香が小声で叫んだ。
「ち、違うんです! あるんです、スイッチ!」
「えっ?」
なにやら顔が真っ赤だ。湯気すら出そうな気配。俺は次の言葉を待つ。
しかし、春香はあると言ったきり、また黙り込んでしまう。
なんだ? いったいスイッチがどうしたっていうんだ。どこかにあって押せばいいんだよな。
どこだ? "体"のどこか? ……ま、まさか?
春香はやかんがピーとなるような雰囲気で、にゅう、とだけ呻いた。恥ずかしい、のか。
「ふ、ふーん。あるんだ、スイッチ」
「は、はいっ! あの、だから! ……後ろっ向いていてくださいっ!」
「なっ、ちょっ、まて! え、ええええっと。そうだイヤホン、イヤホン! ほら俺、iPodもってるから!」
「……! あのっ、あの、違います! プロデューサーさんが考えてるような"トコロ"にはないですから!」
「わ、わかった、きっとアレだ、おヘソとかだよな! 定番、定番!」
「……〜! は、外、いえ、そのあの」
「ハズ、カシイ、だよな!? ゴメン! 俺デリカシーないから! ほら後ろ向いたよ!」
俺は大急ぎでイヤホンを耳に押し込み、再生ボタンを押した。無駄に力を入れてボリュームを上げ続ける。
バリバリに割れた音の「私はアイドル」が流れて頭がクラクラしたが、それどころではなかった。
後は、春香が"ドコカ"のスイッチを"押し"たら、たぶん肩とか叩いて知らせてくれる。
そしたらiPodは止めて、そう手元のスイッチで、止め――
「あっ! 春香!?」
"それ"に気づき、イヤホンを外しながら振り返った俺の目の前で、春香はスカートに手をかけて、
「ぎゃああああっ!?」
見事な紅葉が俺の頬に張り付いた。
「もう、もう! 信じてたのに! なんなんですか、もう!」
「ゴメン! ほんっとゴメン! いや、その、そのスイッチは押さなくても良いことに気づいたんだ!」
春香がぷりぷりに怒っている。そりゃそうだ。しかし、スカートに手をかけていたか。
いや違う、それは忘れろ俺。忘れる。そう忘れる。……無理だろ。
「ぶー……。ひどいですよプロデューサーさん。だからっていきなり振り向かなくても……」
「すまん。ゴメン。悪かった。で、だ。XBox360はな、コントローラーからも電源が入れられるんだ」
「むぅ。まあ、いいです。押さなくて済むなら。で、どうやるんですか?」
「その頭のコードだよ。iPodのボタン付きケーブルで思い出したんだ。よっと」
俺は、棚に置かれている資料閲覧用のAV機材の山の中からXBox360用の無線コントローラーを取り出した。
春香の頭の上から伸びたコードの先のコネクタを、コントローラーのてっぺんに添えて差し込む。
春香がくすぐったそうに身をよじったが、今度は声を漏らさなかった。
「……コホン。いきなりですまん」
「いえ……」
「で、これでこのコントローラーは春香がマスターになるんだ。有線にはならないけれど」
「じゃ、じゃあ電源を入れたら……」
「うん。映るよ、たぶん」
「春香、自分で押してみるかい」
「は、はい。えーと、どれです?」
「真ん中のしいたけ」
「あははっ、ホントだ。煮物のしいたけみたいな形ですね。じゃあ……ぽちっとな?」
そして、俺は見た。
春香のリボンのふちが、ピカピカと明滅しセットアップシーケンスに入っていくのを。
そして、画面に映ったのは……。



「やー、びっくりでしたね! まさか、あんなに遊べるなんて凄いかも」
「ホントにな。さすが春香だ。XBox360の設計スタッフが見たらきっと驚いただろう。こんな性能ありえないって」
「えへへ、イヤですよ、プロデューサーさん。私は、アイドルです」
「そうだな、ゲーム機じゃない。しかし治ってよかったよ」
映ったそれは、ただのゲームだった。
春香が漠然と考えていた、ゆるいアクションパズルのミニゲーム集のようなそれは、全編二人用。
主人公は、赤いリボンの似合うちょっとドジな可愛い女の子と、スーツ姿の飄々としたナイスガイ。
とりあえず二人で遊ぶことにしたのだが、4時間ぶっとおしで堪能してしまった。
「まあ、どうしてこんなことになったのかは謎のままだけどな」
エンディングが終わると同時に、ふっとコードが抜け落ちて、跡形もなく消え、春香は元に戻っていた。
全てのステージはクリアしたが、最大の謎はゲームの外で、いまだ答えはない。
「……私、なんとなく解っちゃいました」
「お? それは、どういう?」
つい、ゲーム中のナイスガイが良く使っていたセリフで春香に尋ねてしまった。尋ねてから後悔する。
この尋ね方をすると、ゲーム中のあのリボンの娘は、決まってある答を返すのだ。
「ヒ・ミ・ツです♪」
「あーしまったー! なあ教えてくれよ春香、色々手伝ったじゃないか」
「だめですー! えへへへ」
春香が駆けて行く。事務室のドアについてしまった。まあ、いいか。春香が楽しそうだ。
と、ドアノブに手をかけたまま、春香が振り返る。
「あの、プロデューサーさん、また遊んでもらえますか?」
「ああ。いつでもいいよ。仕事の隙間をみつけて、また遊ぼう」
このすっきりした笑顔を、いつでも見られるなら。
「約束ですよ、約束!」


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