【別れの餞】
「失礼」
革靴を持ち、同級生の隣に立つ。
「おはようございます」
「ええ」
一礼して退いた彼女を見て、私は下足入れへ自分の靴を仕舞い込んだ。
隣には、入れたばかりらしい彼女の革靴。
「本日も、良き日和で」
「そうですね」
挨拶する彼女に礼を返し、廊下へと向かう。
《可憐で気高い、一輪の花》
一目見た誰もが、彼女のことをこう表現する。
すらりと伸びた背に、端正なプロポーション。楚々とした佇まいに、流れるように輝く髪。
作法典礼にも通じ、学校の誰もが一目を置く生徒――それが、四条貴音。
「皆様方には、あとで申し上げるのですが」
「何でしょうか」
顔を正面に向けたまま、隣を歩く彼女に相づちを打つ。
「近々、学舎から去ることになりました」
「……そうですか」
その言葉に、今日初めて彼女の顔を見る。
「突然で、驚かれましたか?」
まるでお人形のように、貼り付けたような笑顔。
「まあ、それなりに」
それ見て、私はすぐに目を逸らした。
「申し訳ございません。この度、東の都へと向かうことになりまして」
「そうなのですか」
聞いてもいないのに、何故彼女はぺらぺらと話すのだろう。
「『あいどる』になるために」
「え?」
……彼女は、何を言っているのだろうか。
あまりにもわけがわからず、私は久しぶりに彼女をまじまじと見てしまった。
「冗談にも、程があるかと」
「いえ、冗談などではないのです」
目尻を下げ、彼女が困ったように微笑む。
「では、どうして」
初めて見るその表情に、つられた私は問い直した。
「我が家の、しきたりで」
「……はい?」
なんと、馬鹿馬鹿しい。
家のしきたりで芸能活動をするとは、能役者や歌舞伎役者でもあるまいに。
「ふふっ。貴方のそのような表情、初めて見させて頂きました」
呆然としていると、彼女はこれまた初めてころころと笑ってみせた。
「ふざけないでください」
ため息をつきながら、彼女を真正面から見すえる。
「何故、私に話したのです?」
「何故、と申しますと?」
「私に話す道理が、全くもって見えないものですから」
そう突き放した私に、彼女は目をぱちくりさせて、
「どうしてと言われましても」
少し表情を陰らせた後、私の目を見つめて、
「短き時とはいえ、同じ学舎で過ごした仲間ではないですか」
まるで、花が咲くような笑顔を浮かべた。
「仲間、ですか」
「はいっ」
何故、このように笑ってみせるのか。
「では『仲間』として一言申し上げさせて頂きます」
何故、去る前になって自然に笑ってみせるのか。
「アイドルになるのであれば、笑みは自然なものがよろしいかと」
「そう思われますか?」
「ええ」
だからこそ、私はその想いを伝えたくて、
「人は、自然なものに惹かれるのですから」
初めて、彼女に笑ってみせた。
「確かに、そうなのかもしれませんね」
伝わったのならば、何よりも僥倖。
僅かながら餞になればと思いつつ、私は彼女と教室へ向かった。
《了》
ぎこちなく、もどかしい距離。送る別れの言葉。友達でなくて『仲間』。こういうの大好きです。
----
貴音の生活はなんとも想像しがたいものだと思っていましたが、なんというかマリア様とお釈迦様が一緒にみてる感じが非常にしっくりと填まっていました。下足入れ、作法典礼、餞。なんともそれらしい語彙です。更には言葉だけでなく、うっすらと見える「私」の貴音への複雑な感情と、それに起因する行動がまた「古風な」人間像を想像させられ、なるほど765でない貴音に青春とくればこうなるものかと膝を打ちました。
----
短いやりとりの中に織り込まれた嫉視が青春の陰影を浮かび上がらせているように感じました。書かれている文章以上に書かれていない水面下の表現が面白い作品だと思います。
----
「花」は貴音の持物という感じがしますね。描写におけるモティーフの選択に好感が持てます。ただ、視点人物が貴音に対してどのような関係であったのかが少々納得しかねるところはありました。
----
「あいどる」になった彼女を見て、「貴方」が何を思うのか。そんなことも気になります
----
貴音にも高校生だった時期が存在していたわけで、きっと通っていた学校はまさに上流階級のお嬢様が通う、こんな風景であったに違いない。感情にさざめくものがあろうとも顔に出さず、声に出さず、ただその事実のみをたおやかに語る二人の間に、ゆったりと流れる緊張感。餞の言葉に選んだその言葉は、彼女の疑問を解決するための鍵になりうるだろうか。その後の貴音に待ち受ける試練と苦痛を、僕らは知っている。それでも彼女はステージで笑顔を見せる。自然に笑えているだろうか、きっと貴音は自問自答を繰り返していたのかも知れない。綺麗なだけじゃない、そんな余韻を感じます。
----
貴音の通っていた学校。そして、その学友。どんな様子だったのか、色々と想像が膨らみます。それにしても、貴音は良い餞をもらったものです。
----
SP貴音の前日譚、のような。お嬢様お嬢様した雰囲気がすごくいい感じでした。このあたりは個人の好みなのでしょうが、級友の彼女がモブに徹し過ぎているように見えて、若干の寂しさを感じました。なにか一つ、貴音に対する彼女のキャラの掘り下げがあると、貴音を見送る者のシナリオとして一層好みだったかも。
|